読書の習慣がある人には共感してもらえるはずだが、人生の特定の時期の記憶と強く結びつく本がある。僕にとってそれはヘルマン・ヘッセの『デミアン』であり、高校三年生の秋口ぐらいの鬱屈とした時期の記憶だった。 当時僕が通っていたのは地元の進学校で、3年生も夏に入って部活を引退して勉強に打ち込む人が増えていた。部活一筋だった人たちがその体力の注ぎ口を勉強に切り替えるのだから、かろうじて勉強時間の差でカバーしていた学力差があっという間に埋まり、ささやかなリードが崩れていた時期だった。中学生のころまでは「頭が良いやつ」として扱われていたことにアイデンティティを預けていた生徒が高校に上がって自分も有象無象の一人だと知る、という展開は進学校にはよくある話である。僕のその例にもれず、自信のみならず自分の輪郭がよくわからなくなっていた。だから高校に入って以来不安定で、「アイデンティティの拡散」という概念をこの身をもって体現していたのだった。入学して早々の行事でリーダーを務めた際、気合の入れ方を間違えて空回ったスピーチをし「イタいやつ」と認識されたことでしばらく友達ができなかったこと。入るつもりのなかった陸上部に「お前も入るよな?」で流されて入部し、その挙句ついていけずにドロップアウトしたこと。心機一転入った生徒会で頑張ろうと思い直すも仕事の段取りがうまくできない己の要領の悪さを自覚したこと。頑張ってはみるけれどもいまいちパッとしないことが続いていた。つまり「勉強ができる」「真面目」みたいなお手軽が装甲が剥がれたことで崩れた自我のバランスを、なんとかしようと七転八倒していた高校生活だった。いい加減心も折れそうな3年生の夏の終わりごろ、トドメとなったのは文化祭だった。普通は楽しい行事、思い出に残る青春の1ページみたいなものとして語られがちなのだが、僕にとっては苦しい時間だった。
これは私見だが、進学校の文化祭はパッキリ二分される。3年生が年中行事に力を入れる高校と、3年生は勉強に専念する高校である。通っていたの学校は前者だった。もちろん文化祭中も「勉強したい」と言って図書室にこもる生徒もいたがそれは少数派でたいていの生徒は受験モードに切り替わる前にひと花咲かせてやりましょうや!みたいな気概で文化祭を楽しむ生徒が多かった。コロナウイルスが蔓延する以前だったので、3年生は演劇と屋台。その他、部活で何か催しをしたり、お笑いコンビを組んでネタや企画の司会をしたりと文字通りお祭りとして毎年盛況なのだった。2年生の頃は生徒会のメンバーだったので、運営の裏方スタッフとして走り回っていたのが楽しかったし、自分の役割を意識できて満足だった。しかし3年生になり生徒会は引退。もう走り回ることもなかった。クラスの出店ではリーダーを買って出たのだが、全体を見て的確に指示を出して動いてもらうことが絶望的に下手で、最終的には「もう、あんたはここにいてくれたらいいからうろちょろしないで」とクラスメイトに叱られたほどだった。うまくできないことをこれでもかと積み重ね、小さな失態も取りこぼすことなく丁寧に丁寧にひとつずつ傷ついていった。自分のできなさ、取り柄のなさとコントラストをなすようにして、文化祭の数日感を舞台として校内各地で色んな人が色んな才能を爆発させては楽しそうに駆け回っていた。仲の良い友人が自分の役割のために「またあとで!」と去って行き、僕はひとりで軽音楽部のライブを見に行った。軽音楽部のコピーバンドを見て、リズムに乗ろうと不格好に体を揺らしていた。僕の知らない曲が演奏されていて、堂々たるドラムソロに惰性で拍手を送ったりしていた。なぜなんだろう。ステージにいるのは自分ではなく、ドラムソロを叩けるステージ上の知らない生徒で、屋台を回しているのは自分ではなく僕を叱ったあの子で、ステージ上で司会をしているのは自分ではなく、普段は軽口を叩き合っていたあの友人なのだった。みんな、僕よりも勉強ができて要領がよくてそのうえ何か自分を表現するものを持っているように見えた。ステージにいなくても、舞台の脚本を書くひとがいて、屋台で出すメニューを楽しんで試作するひとがいて、みんな勉強の外にも世界があるみたいだった。かたや自分の土台がぐらついて、どこに足をおけば良いのかすらわからない自分がいる。話が違う、と思った。自分に目立った才能がないのもつらかったが、何よりつらかったのは、僕はこの文化祭がぜんぜん楽しいと思っていないことだった。
当時付き合っていたひとは僕をずっと気にかけてくれていた。ずっと俯いて、崩れつつある僕を気にかけてくれていたのだが彼女にも彼女の葛藤があり、受験へのプレッシャーがあり、そして自分の恋人を気遣い続けることの疲労があったことに気づくのはもっと後のことだった。まったくもって当然のことなのだが、学校に行かない僕は学校から一緒に帰ることも学校で話をすることもなくなり、泣き言ばかりの電話もしなくなった。それでも、文化祭が終わってそれほど日をおかず、学校から繁華街までの道のりを小一時間ほど歩きながらゆっくり話した。彼女は僕を労ってくれた。僕はその労いを正面から受け取れないまま、文化祭がぜんぜん楽しくなかったことは誰にも言えないでいた。これが2人で長い時間会話をした最後のときだったような気もするし、そうじゃなかったような気もする。
文化祭も幕を閉じ、3年生が受験の色に染まりはじめた秋口、ここまでかろうじて学校と自分とをつなぎとめていた糸が焼き切れた。朝が来ることが恐ろしく、夜を延長しようとするように眠れなくなった。眠たくなるようなつまらないことで時間を潰したが、効果がなかった。副産物としてバンコクの正式名称が言えるようになったことぐらいだ。眠れず、朝が辛く、学校に行かない。眠れず、朝起きられず、学校に行かない。という生活を基本的には続けていたが、父にだけはバレないようにしなければならなかった。ひとことでいうならうちの父は根性論者で、自身もそのタフネスを存分に発揮してこれまでのキャリアを積み上げてきたひとだった。そのうえ、折り悪く父は多忙な部署で忙殺、兄が2回目の大学留年の危機で家庭の雰囲気も不穏だった。そんな父にだけはバレてはならない。カレンダーどおりではない父の勤務スケジュールを確認し、どうしても朝誤魔化せそうにない日だけは学校に行ったり、学校に行くふりをしたりした。学校までの道中にある図書館によって時間を潰すことがほとんどだったが、たまにチェーンのカフェに入って文庫本を読んだりぼーっと過ごしたりすることもあった。
その日はお昼頃、カフェで『デミアン』(ヘルマン・ヘッセ/(訳)高橋健二/新潮文庫)を読んでいた。表現が難しく、のろのろとしか読み進められなかったがどうせ時間を潰さなければならないのだからむしろ好都合だった。同級生は読んでいなさそうな本を読んでいるという背伸びの優越感もあった。なぜこれを選んだのかは覚えていないが、読んでいくうちにこれは僕が今読むべき本だと感激したのを覚えている。主人公シンクレールは愛に溢れた家庭で生まれた少年。しかしある出来事をきっかけにその光の世界と暗い闇の世界の2つの間を揺れ動き、葛藤する。
ヘッセはこのような葛藤を「内面の嵐」と表現した。高校生の僕はこの「内面の嵐」ただ一点をもって「僕のための小説だ」と感じ入った。それが勘違いかどうかはこの際重要ではなく、そう感じる1冊であったことが重要で、わからないところは適当に飛ばし読みしながらもひとつひとつ大げさに感じ入っていた。注文したアイスカフェオレのグラスはすでに氷だけになっており、それも半分ぐらい溶け始めていた。グラスの水滴をペーパーで拭き取っていると、こちらを覗き込む誰かの視線を感じた。顔はうまく思い出せないが、焦げ茶色のハットを被ってとにかくニコニコと柔和な笑みを浮かべていたおじいさんだったと思う。おじいさんというよりは老紳士と呼ぶのがふさわしい雰囲気のひとで、目が合うと僕の傍らにある本を控えめに指差して「デミアン、いいよねっ?」と品の良い小声で囁いた。「いいよね?」ではなくて、スタッカートが添えられてたしかに弾む「いいよねっ?」だった。急に話しかけられた僕は「僕にはまだむずかしいみたいです」とかなんとかごにょごにょと返したのだが、老紳士は満足そうに去っていった。
今思えば、学校のある時間帯に制服でチェーンのカフェにいる高校生なんて訳ありなのは明らかだろう。ましてやスマホを触るでもなく、勉強するでもなく、思い詰めたような顔をしてヘッセを読んでいる高校生。それが気になって、声をかけたのかもしれないし、そんなことはつゆほども思わずヘッセを読んでいる天然記念物みたいな高校生に遭遇してテンションが上がっただけかもしれない。それでも、老紳士との短い会話のなかで、僕にも勉強の外の世界が開けているのかもしれない、と思った。
その日を境に学校に少しずつまた学校に通いはじめた、となれば美しい構成なのだけれど、現実には美しいプロットに従う道理がないようで、ずるずると登校したりしなかったりしながらギリギリの出席数で卒業した。第一志望だった国公立の大学には順当に落ち、そこそこの私立大学に合格した。 今でもたまに老紳士の「デミアンいいよねっ?」の声を思い出し、シンクレール少年を思い出し、その葛藤と自分の内面の嵐を重ねたあの時期を思い出す。『デミアン』はあれからまだ読み返していない。