【不調のスケッチ】#2
梅雨の不調?
梅雨がどうにも好きになれない。湿度や気圧差、気温の変化に体と心がついていかなくなってしまったのはいつからだったろうか。毎年この時期になると、僕は調子を崩す。まったく不本意ながら。
最近でこそ気象病などと特集されることも増え、社会的な知名度も上がってきているが、それを感じない人からしたら実在を訝しむのも無理からぬことだろうと思う。そりゃ僕だって思う。気圧の高低ぐらいで、弱るほど人体ってヤワじゃないですって…と。しかしながら、事実として不調な日の条件を見てみると高確率で大抵気圧が乱高下しているような日なのである。難しいのは雨だからといって絶対に不調になるわけではなく、そこに睡眠不足だったり精神的なストレスの多寡が複雑に絡まり合っているのだと思う。
身体的な症状としては以下のようなものがある。
- 頭痛と頭部の圧迫感
- 顔や体のむくみ
- 肩首の凝り
- 全身のだるさ
- 睡眠リズムの乱れ(これは気象が原因じゃないかも?
- 全身の痒み
精神的な症状としてはこんな感じ。
- 気分の落ち込み、気が塞ぐ
- 集中力の低下
- 思考にもやがかかり、判断力が落ちる
- イライラ、焦り
- 自己否定的な感情
このうち、どれが気象条件がトリガーで起こっていてどれが持病が原因で起こっているのかについてはよくわからない。梅雨の時期は五苓散という漢方を飲んだり、できるだけカフェイン入りの飲み物の摂取量を抑えたり、意識的にストレッチや軽い運動を取り入れたりとできることはしているつもりである。だけれども、いまいち歯が立たないのが悔しい。
「精神的な不調」という言葉の重苦しさ
「精神的に参っている」と表現されるとき、そこにはある種の重苦しさが伴う。深刻さ、危うさ、ただならなさと言い換えても良い。なぜだろう。それは思うに、精神的な不調が深刻で危ういものと接続しているからではなかろうか。たとえば精神的不調の延長線上を辿っていけば、自傷や自殺、精神的混乱が引き起こす他者への加害に行きつくかもしれない。逆向きに、精神的不調の大元を手繰っていけば、そこには精神疾患や障害、過酷な家庭環境、いじめといったハンディキャップが横たわっているのを目の当たりにするかもしれない。だから、「精神的不調」という言葉は背後に透けて見える諸々の気配を纏わざるを得ず、この言葉自体が「深刻で、危ういもの」として響くのだろう、と納得している。
他方で、重苦しさから解放された言葉も既に市民権を得ている。たとえば「メンヘラ」だとかカジュアルに使われる「病むわー」「〜で鬱」のような表現。ポップで使いやすく、「精神的に参っている」という表現と比べて非常に軽い。好意的に言えば「軽やかでポップ」、意地悪く言い換えると「軽薄」な印象を受ける言葉たちである。これらの言葉が接続するのは、「ふつう」の生活の中での喜怒哀楽であって、重苦しい言葉がもつ気配を纏っていない。
ここまで来て僕は思う。僕の不調を表す言葉がない。やっぱりない。欲しいのは、重すぎず軽すぎない実態に沿った言葉である。ニュートラルに、エフェクトをかけないままで不調を表現する方法はないのだろうか。
「精神的な不調」表現にコンプレッサーをかけたい
オーディオ機器に「コンプレッサー(コンプ)」というものがある。極端に大きな音を小さくし、小さい音を大きくすることで音の大小を平均化するような機材らしい。精神的な不調を表現するときは、そのまま表現するのではなくて、コンプレッサーをかけたい。危うさの予感は小さくおさえ、軽薄な響きにはもう少し重みをもたせること。
最近、導入してみている表現が「ミジンコ」である。「今日は人間として生きてる/今日はだいぶミジンコ」みたいな使い方をしている。使っているうちに「今日のミジンコ度」という表現も生まれて大変ポップながら人間としてはもうダメな日だというニュアンスが説明なしに伝わる結構良い表現だと思っている。
ミジンコ、あの奇妙に可愛らしくややグロテスクな微生物である。可愛らしさや健気さは、なにやら懸命に生きているらしい様子から想起されるのだろう。しかし、人間として生きるうえでの社会的期待にあいつらが添えるとは思えないわけです。不調である日は生きていることに精一杯であるから「ミジンコ」である、と宣言することはあながち的外れではないような気がしている。人間以外の生物を登場させてそれになぞらえることは、「俺はそんあ低気圧で不調になんてならないからそんなのは嘘に違いない」という個々人の感覚を遠ざけて、相手は他者なのだと納得してもらえる意味でも結構使える表現なのではないかと思っている。